昭和を彩ったスター達の相次ぐ訃報に悲しみがつのります。
人は必ず死ぬものだと分かってはいても、実感が湧かない。
特に若く元気なうちは、どこか他人事感が有りましたが、こうして自分と同年代の方々が次々に亡くなっていくと、いよいよ ”死” が現実のものとして迫ってきます。
日頃報道で知る分には、「あーそうなんだ」で終わってしまうのだけれど、それぞれに家族も含め苦しい最後の時間があったんだろうと思うと心が痛みます。
インタビューで仰っていましたが、「最近のテレビは面白くない。同じように雛壇に座って同じようなことを言ってるし、報道もいろんな規制やSNSに囚われ、炎上を恐れ忖度が目立つ」と。
正にその通りだと思います。
尤も、コメンテイター達にとっては仕事ですから、それで食べて行かなければならない以上、自分に利益をもたらすものに対して厳しい物言いができないのは良く分かるし、あからさまに敵を作りたくない気持ちも理解できます。
最近では一言の失言で追放という事態も珍しくありませんから、みんな ”おっかなびっくり” 及び腰ですもんね。
玉川さんに至っては件の事件以降、発言の鋭さがめっきりなくなりましたよね。(>_<)
今や、ふつーの ”物知りおじさん” になっちゃった (-_-;)
(菊間さん、思考経路?がキュートで大好きです❤)
何せテレビ用のスピーカがアルテックの劇場用システムだし、ドールハウスやシアタールームもね。
まあお金持ちレベルとしては大した部類ではないのでしょうが、これらの全てを置いて行かなければならないとなるとねぇー。
思い入れの深い品々も多数あれど、残された者にとっては、単に処分した際の金額分の価値にしかならないと思うと死に切れんw。
話しは違いますが、
人間の、金儲けしようとか、有名になりたいとか、地位を築きたいといった行動は、全て長生きしたいとの願望に基づいている思うのです。
例えば同じ50年を生きたとしても、その時間密度には違いがあって、自分は他人の2倍充実した時間を過ごしたと思えれば、その人の人生は100年に値する。
つまり、お金や地位や名声は人生時間の密度を高めるためのアイテムとして皆が躍起になって手に入れようと努めるのではないでしょうか。
勿論価値観は人それぞれで、それらのアイテムに囲まれずとも、充実した時間を実感できる人も中にはいるでしょう。それは誠に結構なことであって羨ましい限りです。
しかし大多数の凡人にとってそれは難しい。
せめて出来ることは、”足るを知る者は富む” に徹することくらいでしょうね。
小倉さんの77歳はご自身にとって長かったのでしょうか、それとも短かったのでしょうか。
― 合掌 ―