この歳になる迄そこそこのものを見聞きし、そこそこの経験も積んできたはずなのに、この世界には知らないことが多すぎる。
それはある意味当然のことであるが、たとえ日常の小さな気づきも、宇宙の大発見と変わらぬほどに大切で面白い。そう思う今日この頃です。
先日のラジオ、”視覚障がいバリアフリーアドバイザー”の女性のお話で、
視覚障がい者の中で点字を自由に操れるのは1割にも満たないということ、点字をスラスラ読めるのは、盲学校で点字をならった人(多分小さい頃から長い間)のみで中途失明者には難しいー--。
恥ずかしながら知りませんでした。ATMやエレベータ等日常的に点字を目にします。今迄私の中では漠然と、視覚障がい者=点字、のイメージが有り、皆が健常者が文字を読むように点字を読んでいる。そう思っていました。
が、言われてみれば確かに、指先の微妙な感覚を身に着けるのは並大抵ではないでしょう。
そういう事実を知れば、釦の横に点字を刻めばそれで良しではなく、例えばそこに指を触れると「4階です」と声を発するような工夫だって出来るかも知れませんよね。
今朝メールの返信をした際、”参ります”と打って、何気に”うん?”と感じて調べて見たら、
”参ります”と”伺います”の二つの謙譲語には明確な違いがあると言うこと。
(因みに、”伺う”=謙譲語Ⅰ ”参る”=謙譲語Ⅱだそう)
つまり、例えば目上の人から、次の会合に参加できるか?との問い合わせが有ったとしてそれに対して返答する場合に。
1「来月は海外へ”参ります”ので失礼します」は、聞き手を立てる(丁重さを示す)表現としてOK。
2「来月は海外へ”伺います”ので失礼します」は、行為の向かう先が海外と言う敬意を払う必要のないものに対する謙譲表現なのでNG。
3「来月は別件で御社(聞いてきた相手の会社だとして)へ”伺います”ので失礼します」は、目上者の会社に対する敬意だからOKかな。
確かに2のような使い方は、日常無意識にしてはいないわけですが、改めて明快に違いを説明されると、なるほどな~と感心します。
(もしかして私の理解が間違っていたとしても、それは又発見ですね)
知らないことが多すぎる=知る楽しさが一杯ってことで。
上部の切り欠きは手触りで開け口の向きが分かる工夫だそうです。
こんなことも、聞いたのは極最近です。
やっぱりこの世界には知らないことが多すぎる (;^_^A