NHKラジオ、ラジオ深夜便の ”ラジオ文芸館” にて、去る9/15に朗読された、沢木耕太郎著 ”クリスマスプレゼント” は自分史上最も悲しいお話の一つでした。
いまだ記憶に新しい、東京町田市の女性殺害事件。高齢の女性が娘さんの前で意味もなく殺され、「誰でもいいから、殺して人生を終わらせたかった」と男が逮捕されました。そしてその数日後、憔悴しきった様子で犯人の両親が取材に応じる姿が報道されたのですが---。
その痛々しい姿に接し、すぐさまこの物語が頭に浮かびました。
その物語というのは、死刑囚として獄中にある息子宛に、妻が毎年年末になると必ず下着を送っていたのだが、その妻に先立たれ、遺言により自分がその役を引き継いだ時、それは、もしかしたら妻から息子へのクリスマスプレゼントのつもりでもあったかも知れないと気づき、ならばと、息子が幼い頃に繰り返し読み聞かせてあげた、お気に入りのサンタクロースの絵本を同梱しようと思い立ち、その行為の過程で、幼子との幸せだった暮らしがフラッシュバックすると言うものでした。
あまりに辛く切ない物語に、私は数日の間気分が落ち込んでしまいました。
そうして強く思ったのが、人の存在は、決して自分だけのものではない。産み育ててくれた両親や、己の人生に於いて関りを持った全ての人達との共有物なのだということでした。
これから先も同様の事件は繰り返されるでしょう。しかし、その時にもう一度立ち止まり、ためらって欲しい。「自分の人生は自分のものだから、どう使おうと構わない。」などとは、結果で見返す自信があるときに言うことで、それが、もしも取り返しのつかない罪につながるのだとしたら、あなたの為に無償の愛情を注いでくれた人たちにも、耐え難い残りの長い人生が待ち受けることに思いを巡らせて欲しいのです。
勿論被害関係者の心中は想像を絶するものでしょう。が、同時に、「謝って済む問題では無いから」と答えられていた犯人のご両親にも心が痛みます。どうか、ご自分を責め過ぎないように。
物語の中で語られた、「確かにあの子は私と君の子だが、もう生まれた時から自分の個性を持っていた。例えどのように育てようとも、あの子の個性は変えられなかっただろう」と言う一節を送りたいのです。