ノンキーjr.の好いとっと

”好いとっと” とは ”好きなのよ” これからも好きなことい~っぱいあるといいな。(Livedoor Blogから引っ越してきました)

”ふてやん” (おはなしこんばんは④)

死ぬ前に、「一番会いたかった人に合わせてあげる」って言われて考えてしまった。



昭和の田舎に ”ふてやん” って子がいたんだとさ。

 

”ふてやん” はとても元気な小学生、頭もよく成績はいつもクラス一番。足は速く、ひょうきんで憎めない人気者です。近所では素直な良い子と、もっぱらの評判。
あやかって、我が子に同じ名前を付けたって人もいたくらい。

 

だから ”ふてやん” の周りにはいつも友達がいたし、皆がその輪の中心に置いてくれたので、”ふてやん” には友達を意識する必要はきっと無かったのでしょう。

 

そんなある時、知らない町から転校生がやって来ました。”大沢君” です。
先生に紹介されて教壇に一人立つ ”大沢君”。伏し目がちながら、その場の雰囲気に気おされまいと、しっかり前を向いた姿が健気だった。ただそれだけの印象。
 
”大沢君” は転校生なのだから、とても心細い思いでそこに立っていたに違いないけれど、今日からクラスになじもうと少年なりの決心をしていたはずなのです。

 

勿論、 ”ふてやん” には彼のそんな気持ちが分かるはずもなく、だからお互いに家を訪ね合う間柄になる迄に何があったかなんて記憶は全くないのでした。

 

クラスの人気者に近づけば早く自分の居場所ができる。それは好都合な ”大沢君” の計算であったのかもしれないが、仮にそうだったとしても、それは彼の懸命さ故なのだから、非難には当たらないのです。

 

それは毎日よく遊び過ぎたので、ある時など、「遊んでばかりいないで、宿題は済んだのか!」と”大沢君” を叱るお父さんの声を聞いたこともありました。
そうして、いつしか彼はもう転校生ではなくなっていたのです。



どのくらい経っただろう。まだ学年は変わっていなかったと思うが ---。
”大沢君” は突如として又知らない町へ行ってしまいました。彼はその時も、来た時と同じように教壇に立って別れの挨拶をしたはずなのに、なぜか ”ふてやん” にはその記憶がないのです。
お手紙書いた記憶もないのです。駅まで見送った記憶もないのです。悲しかった記憶もないのです。何もないのです。不思議なくらい何も。
彼は次の日から学校に来なくなった。ただそれだけの出来事だったのです。

 

多分それは、”ふてやん”にとっては、たくさんの友達の一が人いなくなったでけだったから。
彼の代わりはいくらでも誰かが穴を埋めてくれたから。
そうに違いなかったのでしょう。



それから少し過ぎたある日、いつものように遊びから帰った ”ふてやん” はお母さんに聞かされました。
「大沢君が会いに来たよ」と。それも一人で列車に乗ってやって来たと言うのです。
どこかの知らない町から一人で列車に乗って会いに来た。

 

”ふてやん” は ”大沢君” には会えなかった。

 

あの時代、子供が一人で列車に乗るなどなかったし、あの厳しそうなお父さんがそれを許してくれるとは到底思えなかったので、会えなかったことよりも、来れたという事実にだけ感心したのです。

 

残念だとか、引き留めておいて欲しかったとか、どこから来たのとか、”ふてやん” はお母さんに詰め寄ることもせず、ただ、一人で列車に乗って---。と思うだけでした。

 

とても悲しいことだけど、その時 ”ふてやん” は  ”大沢君”の気持ちに気づけなかった。
彼はその後二度とこの町へ戻ることはなかったし、二度と ”ふてやん” に会いに来ることもなかったのです。



そうして時は流れ、大人になった ”ふてやん” には時々 ”大沢君” の去っていく後ろ姿が心に浮かぶのです。

 

嗚呼、あの日 ”大沢君” はとても大きな決心で自分に会いに来たはずだ、新しい友もまだなく、どれだけ寂しかったんだろう。何せ一人で列車に乗るって大冒険をおかしたのだから。

 

嗚呼、なぜあの時、よく来てくれたと迎えなかったんだろう。すれ違いで会えなかったとしても、何か手立てはあったはずなのに、なぜしなかったんだろう。
”大沢君” にとって、自分は大きな存在であったに違いなく、会いに行けばきっと両手を広げて抱き着いてくれると楽しみにしていたろうに、なぜ。

 

 ”大沢君” も、きっとあの日のことを忘れてはいないはず。それがたとえ彼の一方的な期待だったとしても、裏切られた再会の記憶を、ずっと抱えたまま大人になったはずなんです。友情なんてそんなものだと、ずっと思い続けて大人になったはずなんです。

 

傷ついた少年は、いったいどんな気持ちで帰りの列車に乗り込んだのだろう。決して振り返ることのないその後ろ姿が小さく駅に向かう。そんな映画のようなシーンが心に痛いのです。

 

”ふてやん” は思い続けています。もう一度あの日に戻り、振り返った君を笑顔に変えて、あの帰りの列車に乗せてあげたいと。

 

”一番会いたかった人に合わせてもらえる”
 
そんな願いがかなうなら、”ふてやん” にとって、それは初恋のマドンナでもなければ、死んだオヤジでもない。

 

”大沢君” 。

 

”ふてやん” は君に会わなければならない、会って謝らなければ。

 

子供だったと言い訳はしない。ただごめんねって一言伝えなければ。

人生を振り返れば、やり直したいことは山ほどあるのだけれど、彼との思い出は、亡霊の如くこれからもずっと ”ふてやん” の心の中に棲み続けるのだろうと思うのです。